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コーヒーのお便り VOL.3  グアテマラと僕

コーヒーのお便り VOL.3  グアテマラと僕


グアテマラは僕の人生で一生忘れることのできない国だ。

 僕がグアテマラにお隣メキシコから入国したのは、2019年の7月のことだった。
以前からグアテマラの良さを聞いていたため、ウキウキした気持ちでメキシコからの国境を超えたのを覚えている。

(この真ん中の線がグアテマラとメキシコの国境だ)

入国して、目的の街まで路線バスを乗り継いでいく予定だった。
ところが国境を越えた途端に「車でもっと先まで早く連れてってやる」と見知らぬおっちゃんに声をかけられた。怪しさしかない。

でも気づいたら僕はその車に乗っていた。

 そしてしばらく走った後、
当然の若く車は山道の途中で急停車し、金品の要求が行われた。
車内には運転手であるおっちゃんと、その仲間らしき若者二人。そして僕だ。
抵抗できるはずもなく、最初に言われた金額の20倍を支払い、
向かうはずだった街のはるか手前の街で降りることになった。
(山奥に置き去りにならなかっただけラッキーだった。)

最後の抵抗として、「やっぱり嘘じゃん!」と降りるときに笑いながら肩に軽くパンチをした。向こうもなぜか笑顔だった。

 グアテマラの路線バスは、アメリカのスクールバスを改造したものが使用されていた。
通路を挟んで二人掛けの座席が並んでいるのだが、混んでくると両側に3人ずつ座り、そして通路の上に両側の人に挟まれ、空気椅子のような形で一人座るシステムだった。

真ん中に座る羽目になった時は地獄を覚悟する。

グアテマラのバス。僕が乗ったバスその直後交通事故に合って死にそうになった。

 バスには当然冷房なんてものはなく、窓を開けっ放して走る。そして、その窓から乗客はゴミを投げ捨てるのだった。
環境問題なんて意識はなく、当たり前のようにぽいぽい捨てる。
初めて見たときはその光景に衝撃を受け、心を痛めたものだが、気づけは何も感じなくなっていた。
 それよりも、僕の関心は「ゴミを捨てる」ことではなく、
「何を」捨てるのかに向くようになった。

お菓子のゴミを捨てるのはまだしも、ピーナッツの殻などの軽いものを捨てようもんなら、風で流され、後ろの乗客に飛んでいくことになる。一度、プラスチックの容器に入った飲み残しが後ろの人の顔にかかるのを目撃した。
それ以来、前の人がなんのゴミを持っているかを座る際に確認するようになった。

 グアテマラは今日の中米では珍しく、「民族性」が未だ色濃く残されている。
正確な数は忘れたが、20〜30ほどの民族が存在し、民族によって言語、服装が異なるのだ
(とはいえ、3〜4つの大グループがその90%を占めるため、街中で聞こえる言語は主に3つ程度)。
最初はなにがなんだか分からないが、しばらく住んでいると「あ、あの人はOO族の人だ」と分かってくるのが面白い。少しずつ自分がその国の文化に馴染んでいく感覚だった。

(山奥の貧困の村に取材に行った時。女性が来ているのがこの民族の衣装)
 


 面白いと思うことは他にもあった。

例えば、グアテマラはまだまだ発展途中ではあるが、物価はお隣のメキシコよりもなぜか高い。そのため市場のおばちゃんたちはお隣メキシコまで買い出しに行っているのだそうだ。その際に、国境の横にある川にイカダを浮かべて堂々とメキシコへ不法入国しているのだ。パスポートは持っていないらしい。

 3ヶ月弱のぐあてまら生活の中で僕はいろんなことを目にした。カラフルな民族衣装に身を包む人。ジーパンを履きこなす若い人たち、賑やかな市場、大きな高級デパート。様々な対比が絵具のように混ざり合いながら日々の生活を描写する。
僕はその完成図のない絵をただただぼーっと眺めていた。それが何より楽しかったのだ。

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